現在の学校給食では、食文化の多様によって様々な料理が提供されるようになりましたが、その中でも変わらないものと言えば、牛乳です。牛乳は手軽に子どもの成長には欠かせないカルシウムやタンパク質を補えるため、ほとんどの給食で牛乳が提供されています。

しかし、牛乳というのは戦後間もない頃は貴重品であり、学校給食で出されることはありませんでした。その代わりのものとして、脱脂粉乳が出されていたのです。今回は、そんな給食の脱脂粉乳について紹介します。

学校給食の歴史と脱脂粉乳

第二次世界大戦が終わった1945年、日本では様々なものが不足し、困窮の時代を送っていました。明治時代から学校給食は始まっていましたが、全国的に食料も不足していたため、なかなか十分な栄養素が取れる内容の給食ではなかったそうです。1946年になると、ようやく「学校給食実施の普及奨励について」が発行され、学校給食の方針が定まります。

その1年後には全国の児童約300万人に対して給食がスタートしました。そんな中、ユニセフはもっと多くの子ども達に給食が食べられるように、そして栄養素の高いものが食べられるようにと、脱脂粉乳や薬、服の原料となる原綿を送ったそうです。
支援に使われた額は当時の金額で65億円相当にも及んだと言われています。

脱脂粉乳がまずかった理由とまずくても飲まなくてはいけなかった理由

ユニセフから多大な支援を受けたことで、多くの子ども達の給食に脱脂粉乳が提供されるようになりました。しかし、当時給食で脱脂粉乳を飲んだ方の多くは、「まずかった」と言っています。確かに脱脂粉乳は牛乳よりもコクがなく、サラッとしているためあまり美味しいとは感じられないかもしれませんが、当時はさらに味わいが悪かったと言います。

とにかくまずい…マツコも苦手だった「脱脂粉乳」って何?

実は当時、バター製造で残った廃棄物を脱脂粉乳にしており、当時は日本で作られておらず、貨物船に乗って日本にやってきていました。元々廃棄物だったことから粗雑に扱われていたことや、船旅の道中で高温多湿の環境下によって傷んでしまったことが、まずさの原因にもなっているそうです。ただ、まずくても飲まなくてはいけない理由がありました。
先程からご紹介しているように、日本は戦後困窮状態にあり、十分な食事にありつけませんでした。

そのため、毎月数十人もの餓死者が出た街も中にはあったそうです。特にタンパク質やミネラル分はなかなか食事では摂取することができませんでした。脱脂粉乳は当時の食事では補えなかったタンパク質やミネラルを豊富に含んでおり、多くの子どもの命をつないだと言えます。

確かに当時は衛生管理などが整っていなかったため、脱脂粉乳のまずさが際立ってしまったのかもしれません。しかし、ユニセフが脱脂粉乳を支援してくれなければ、もしかしたらより多くの子どもの命が犠牲になってしまった可能性も考えられるでしょう。脱脂粉乳がまずくても飲まなくてはいけなかったのには、きちんと理由があったのです。